ピースが埋まる
朝、仕事へ行く準備をしてたら
ふと湧いてきた気持ち。
「みんなそれぞれ頑張ってる。
必死に今を生きている。」
思えば数週間前に仲間から貰ったキーワードが始まりだった。
『俯瞰』(ふかん)
辞書で調べるもその感覚がわからず、自分にはまだ手が届かない感覚がもどかしかった。
Wikipediaより引用〜
俯瞰(ふかん)とは、高い所から見下ろすこと。全体を上から見ること。
俯瞰の映像は他の映像に比べ、客観的で説明的だとされる。
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振り返ればそれからだった。
自分を改めて確認させられることがあったり
次々と起こる出来事に翻弄されそうになる中
不安定な子供達や周囲の人に自分をみせられ向き合わされたり…
たくさん考え、
ヒントを受け取るも
なかなかピースが揃わない日々。
この数日、
もう少しなんだけどな、感じながら
なぜかセカオワの2本の動画を繰り返しみていた。
(興味のある方はどうぞ♩二本立てだけど…笑)
『銀河街の悪夢』
SEKAI NO OWARI「銀河街の悪夢〜 鉄拳 Ver. ☆NEW 2016」Digital Product【HD】 - YouTube
SEKAI NO OWARI 『スターライトパレード』 Music Video - YouTube
(ファンの間ではもう数曲ある)
深瀬が心の病で苦しんだ頃を描いた歌と
そんな生活の中で、希望を見つけた瞬間を表した歌。
生きる力を失いかけた人がなんとか「生きよう」と足掻き苦しむ姿。
そして、そこから抜け出すきっかけは希望であり愛。
スターライトパレードPVの中で
自分の世界は終わってしまったと絶望のままに暗闇を彷徨っていた時、
一筋に差した光(仲間と音楽)を見つけた瞬間を表すクライマックスシーンを見るたびに、人間の生きようとする力の強さを感じて鳥肌が立つ。
私がこの人達を好きになったのは、音や世界観からだったけど、(顔もですね、すみません…)
深いところで惹かれたものは
どんな暗闇だろうが、苦しい状況だろうが、間違えてようが、失敗しようが
それでも人は《生きようとして》生きているんだということを知ってる人間の強さであり、それはきっと私にはまだ理解しきれていない「愛」というものなんだろうと漠然と感じていた。
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今の私に足りないものがある。
日に日にその思いが強くなっていった。
人はこうあるべき、が手放せずジャッチしてしまい
愛情を持って全てを受け入れることが出来ない。
今朝ふと降りてきた言葉。
「みんなそれぞれ頑張ってる。
必死に今を生きている。」
そう思うと同時に何かが腑に落ちた。
なぜあんな出来事があったか
なぜあの場所へ行ったのか
なぜあの2曲を毎晩繰り返し観てたのか。
全部が繋がってピースが埋まった。
そして俯瞰するという感覚が少しだけわかった気がした。
「人が生きる」ということが
「愛情」というものが
また少しだけわかった気がする。